大判例

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東京高等裁判所 昭和34年(う)748号 判決

控訴人 被告人 杉山豊 外一名

弁護人 菊地三四郎

検察官 道前忠雄

主文

本件各控訴を棄却する。

被告人両名に対し当審における未決勾留日数中各百二十日をそれぞれその本刑に算入する。

理由

本件各控訴の趣意については、弁護人菊地三四郎が差し出した控訴趣意書の記載を引用する。

所論はまず、原判決には事実の誤認があると言い、本件は被告人らに強盗の意思がなく単に恐喝にとどまる、煙草も金銭もこれを取つた時期は同一と認むべきである、このことは事件直後における被害者の捜査官に対する供述調書によつて明らかであつて、被告人らが原審公判においてあたかも強盗の犯意を認めたかのような結果を生じたのは、裁判長のいわゆる畳込尋問によるもので被告人らの真意ではない。結局本件は恐喝と傷害の二罪に分けてこれを認むべきであるにかかわらず、原判決がそれを一個の強盗傷人罪と認定したことは事実の認定を誤つたものであると主張する。しかし、なるほど所論のように被害者の捜査官に対する供述調書によればあたかも被害者は本件の煙草と金銭について同時に被害にあつたように認められないではないが、当審において直接被害者を尋問した結果(被害者の当審受命裁判官に対する供述調書の記載)によれば、前記捜査官に対する供述記載はおそらく尋問者の聴取り方が簡に過ぎて当を得なかつたためではないかと推測せられ、真実は原判示のようにまず煙草、次に金銭とそれぞれ異る場所機会において被害を受けたものと認めることができるうえ、これと原判決挙示の証拠を総合すれば、煙草については単にこれを恐喝したにとどまると認められるが、金銭については、その際被害者に加えた暴行の時刻場所方法程度等からみてすでに恐喝の域を超え、被害者の反抗を抑圧してこれを強取したものと認めざるを得ない。したがつて原審が強盗傷人罪を認定したことについて所論のような事実誤認はないといわなければならない。

次に所論は原判決が恐喝ならびに強盗の事実を認定しながらこれに対し刑法二四〇条のみを適用したことについて、理由のくいちがいがあると主張するけれども、本件の恐喝ならびに強盗傷人の二罪は順次相接続する機会になされたもので、当初の暴行による恐喝がやがて次の段階にその程度を超えて強盗に発展したもので、相手方に暴行を加えて畏怖させて金品を取るという点において両者共通の要素を含むものであるから、原判決が法律の適用においてこれを包括して重い強盗傷人の一罪として取り扱つたとしても、必ずしも失当とは言えない。論旨は理由がない。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 兼平慶之助 判事 足立進 判事 山岸薫一)

弁護人菊地三四郎の控訴趣意

第一点、原判決は事実誤認の違法があるから破毀せらるべきである。

一、原判決は被告人両名を強盗傷人罪としているが被告人等には強盗の意思がなく事実も異なる。証拠に依れば被告人両名は昭和三十三年十一月十八日午後十一時頃栃木県宇都宮市大曾町三〇一番地附近通称羽黒街道を酒に酔つて帰宅せんと歩行中其の後方より自転車に乗つてきた被害者植松春芳(当時二十四才)から「危ねえなあ」と言つて怒鳴られたのに憤慨し相手方の怒鳴り方がしやくにさわり植松が二、三米追越して行つてから被告人池田が植松の自転車の荷台を掴み引止め被告人杉山は自転車の前に廻りハンドルを抑えた。而して被告人杉山は自転車を貸せと言つたところ相手は貸さないと言うので被告人杉山が「飲ませろ」というと相手は「うん」と言うので御前何処の者だというと被害者は「田原のアメダ一家の弟分だ」というので「嘘を言うな」ということになり殴りつけることになつたものである。そして被告人が「煙草ねいか」と言つてヂヤンバーのポケツトやズボンのポケツトを二人で捜し始め一人がピース一箱、一人が五百円札一枚を取つてピースは被告人等一本宛取りあと一本を被害者に渡し三人で喫い被告人池田が被害者より五百円を取つた。而も被害者が鼻血が出たので被告人杉山がそれを拭いてやつた。と言う事実である。然らば被告人等に強盗の意思がなく被告人等の犯意は恐喝である。されば判決の事実認定自体でも二人共謀で喝取せんとしたことを認定しているが後段判決は「被告人両名は植松がアメダと言うゴロツキの弟だと詐称したことに憤慨するとともに、尋常の手段では金品奪取の目的を達することはできないと見てとり植松に対し先づ徹底的に暴行を加えてその反抗を抑圧しその機会に所期の目的を遂げようと決意し」と強盗の犯意を認定したがこの認定は証拠に依らざる而も事実と異なる認定である。

二、先づ被害者がアメダ一家の弟分だというた時期は何時か。被害者植松春芳の昭和三十三年十二月十六日附検事調書に依れば初めに被告人等と逢つた時被告人が「お前大分良い気嫌だね」といいました。私は焼酎を呑んでいたので鼻唄を唄つて来た。被告人等は「おい呑もうぢやないか」と言うと私も「うん」と答えた。すると被告人等は私に対し「お前何処の者だ」というので「田原のアメダ一家の弟だ」というた」旨の記載がある。アメダ一家というのはゴロツキの親分で地方では有名であるから嘘をいうなということになり互に酒に酔つているのであるから生意気だ殴れということになつたのである。従つて判決認定の如く煙草を取つたあと金を取る前に出た言葉ではない。然るに判決の認定はこれを煙草を取つたあとに認定したことが証拠に基かず事実認定を誤つているのである。

三、次に煙草(ピース三本)と金五百円を取つた時期は何時か。判決は煙草は喝取、金員は強取と認定しているが前記被害者植松春芳の検事調書に依れば、「金を持つているか」と言いながら二人が私のポケツトを捜し始め黒つぽい服を着た男の方がズボンのポケツトから五百円札一枚、ジヤンバーのポケツトから九本入つたピースを取つてしまいました」と供述している。従つて時期は同一と見なければならない。又昭和三十三年十二月九日附被害者の警察官に対する供述調書に依つても同一時期と供述している。然るに何ぜ判決の事実の如く分けて認定したかと言へば被告人の裁判長に対する昭和三十四年二月十七日第二回公判に於ける供述により変つて来ている。然し被害者の事件直後の供述と被告人に対する裁判長の畳込尋問と何れが信憑力あるかと言へば被害者の供述を先づ取らなければなるまい。斯くて事実認定は全く違つた事実に認められたのである。

四、次に暴行の限度について 本件が暴行の程度が社会通念上被害者の反抗を抑圧する程度のものであるかどうかは客観的基準に依つて決めねばならない。今犯行の動機を見るに被告人等も酒七、八合並焼酎一合を呑んですぐ歩き始めているのであるから相当酔つて居り被害者亦酒に酔つて鼻唄を歌いながら自転車に乗つて来たのであるからこれ亦相当の酔が廻つたことが伺はれる。さればこの青年達の心理的現象として一寸したことで口喧嘩となり暴行行為に及ぶのは普通である。而も本件では被告人等が夜道を酔つてフラフラ歩いているので自転車で来た被害者が危いねというのは当然で又生意気な青年達はこの言葉をきくと「何が危い」と反問することも自然の状態である。而してそれから飲ませろ金が無いかと言うことになり、ないというから身体検査をするぞというと「やれ」と言うのでやつたところがピースと金が出て来た。「これあつたぢやーないか」というと被害者は百円だけ返してくれと言つたが被告人等は百円も返さずに持つて行つたということである。然らば犯意は正にタカリであり恐喝である。初めより強盗の犯罪はなく又途中に於いて反抗を抑圧する如き強い犯意に変化した事実も認められない。然るに何故強盗の犯意を認めたのか。これは裁判長の尋問が所謂本人尋問にあらずして畳込尋問である裁判長の頭の中で考へ、斯くあるべきだとの前提に立つて尋問するから被告人等の如き年若い青年は問はれるままにハイハイと答へたためである。然しそれは危険である、尋問は寧ろ要点のみをすべきで畳込むような発問では被告人の真意は伺はれず、従つて事実と異なる判断が生ずるのである。本件に於いて被害者の供述事実と全く異なる事実認定となつたことは事の大小に拘わらず裁判のあり方につき充分なる考慮を要すべき点である。この点は本件が本人尋問中心で認定された証拠で他の証拠と一致せず事実と齟齬を来した所以である。従つてこの点に於いても原判決は破毀さるべきものと信じる。

五、斯くて本件の事実は恐喝と傷害とが分離されて然るべき事実なのに拘わらず原判決が強盗傷人と認定したのは事実誤認の違法がある。

第二点、原判決は理由にくいちがいがあるから刑訴三七八条に依り破毀せらるべきである。

一、原判決は罪となるべき事実に於いて被告人両名は植松春芳を嚇して金品を喝取せんと決意し共謀の上暴行して同人より煙草「ピース」一箱(三本入りのもの)の交付を受、と認定し後段に於いて徹底的に暴行を加へてその反抗を抑圧し其の機会に所期の目的を遂げようと決意し共謀の上暴行して金五〇〇円を強取しと認定し恐喝並強盗の事実を認定しないから法律の適用に於いては刑法第二四〇条のみで処罰している、これは明らかに事実理由を誤つたものである。若し原判決が強盗傷人と解するならばピース一箱の喝取は強盗罪に吸収せらるべきもので事実摘示の要なく又ピース並金銭が共に強盗罪となるならばそれは起訴状の如く事実認定さるべきで之を二つに分ける以上二つの罪が認定されなければならない。

二、従つて原判決は理由にくいちがいがあり而もそれは判決に影響があるので違法な判決である。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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